2014年1月22日水曜日

今更だが、半沢直樹

半沢直樹で有名な池井戸潤の作品をここ数ヶ月で幾つか読んでみた。

ドラマの評判から、勧善懲悪物だと勝手に思っていたけれど、出てくる登場人物たちはそれぞれの立場でそれぞれの信じるモノのために戦っていた。家族のため、自分の出世のため、お金のため。それは主人公ですら例外では無く、半沢直樹も自分の出世のために戦っていた。

小説の中ではあるが、決して特別ではない登場人物達にはそれぞれの人生があり、それぞれが戦っている。この作者はそうした特別では無い人たちを描くのが物凄く上手くて読者が主人公の立場に共感する場面もあれば、物語で悪役に描かれている人に共感することも沢山あるのだ。そして、そこに惹き込まれてしまう。

組織に反旗を翻す事に憧れることもあったり、自分の愛する組織を守りたいという心境も交差し、物語が終わっても登場人物がこの先どんな人生を歩んでいくのか自分なりに想像してニヤニヤしてしまう。そんな感覚をどの作品を読んでも考える。

大好きな小説家、伊坂幸太郎が非日常の中の日常を描くのが上手であることと対照的に、池井戸潤は日常の中の日常を書くことで読者を釘付けにしてしまうのだろう。日常の中の非日常を書く作品やコントは多いんだけれど明らかに作り物だって感じてしまうと、人間はどこか冷め切ってしまう。例えば、コント「携帯電話販売」ツッコミが携帯電話ショップに来店すると明らかにおかしな店員がおかしな受け答えをする。これは日常の中の非日常。

ちょっと話は横にそれたけれど、自分たちが生きている世界は皆が正しくて皆が間違っている。自分が正しいと思っている考えが、他の人から見れば間違っている考えなのかもしれない。自分の見ている世界を俯瞰で見て他者はどんな考えをしているのか感じる事、わかる事が大事。

もちろん、俺には信じている自分の根っこがあってそれを曲げるわけには行かない部分もある。そその信条をまげないためにも相手が何を考えているのか何を求めているのか、そしてどうすれば自分の考えを分かってもらえるのか、貫けるのか。

矛盾しているような言い方だけど、いろんな人がいて斜め上にも下にもぶっ飛んだ考えの人が沢山いるから一つのやり方に固執すると足元をすくわれてしまうんだよね。

池井戸潤の作品から、そんなこと感じた。自分も組織の中の一員として、一人の人として素晴らしくも辛くて退屈な日常を、明るく楽しく生きていくためのヒントがそこにはある・・・のかな。

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