2015年6月9日火曜日

派遣法改正

今回の国会もバタバタしてますねー。

余裕で成立すると思ってた改正派遣法も、漏れた年金問題のおかげでドタバタしてたけど、なんとか成立の目処がたちました。 

片足を人材業界に突っ込んだような仕事をしている身としてはほっとしています。
法案の是非はともかく、宙ぶらりんになるのが一番イライラしますから。
って事で、こここらは会社内のガイドライン整備、従業員教育をしていきます。

その前に法案の読み込み、セミナー参加とお勉強の日々でございます。

さて、件の派遣法、世間では「三年間で使い捨てになる!」だとか「一生派遣法案!」(なんか矛盾してない?この2つ)だとか「正社員ゼロ法案」などの報道が繰り返されてますけど、本当にそうなんでしょうか?

そもそも「派遣」というのは派遣先と派遣会社の間の契約の話であって、派遣会社の従業員は派遣会社と契約社員なり、無期雇用なりの契約を結んでるんですよね。
(ややこしいけど)派遣会社の正社員って人がこの先増えてくるはずです。人手不足の今の時代、不況型の誰でも良いから人を連れてくる派遣のビジネスモデルは崩れ始めてます。

派遣業界は未だ過渡期。これから乱立しすぎた派遣会社の淘汰が始まり、いわゆる派遣社員の立場も良くなってくるはず。

そのときはきっと上手く行けば、正社員と派遣社員の給与格差が少なくなって来るんだろうな。派遣社員の給与が上がるか、正社員の給与が下がるかは知らないけど。

あれ?上手く行ったら反対してる人達の理想の展開じゃないか。不思議。





2014年12月31日水曜日

BETONES

男性の下着ってこだわらないように見えて結構みんなこだわってる。ムレたりポジショニングだったり伸縮性だったりデザインだったり。
アンダーウェアはやる気に繋がる大事なモノ。
そんな中で最近お気に入りの下着がBERONESというメーカーからでてるボクサーパンツ。
デザインもさることながらつけ心地がとてもイイ。履いた瞬間に「あっ、違うな。」って感じるぐらい。
大晦日なので新品を装着して、新しい年に備えようと思います。
良いお年を。


2014年8月23日土曜日

感謝

今週は元気をくれた人達に感謝

昔一緒に同じ場所で働いた先輩後輩。楽しいお酒と時間をありがとう。あなた達が居たから今の僕がいます。

電話で話した友人。幸せのおすそ分けをありがとう。あなたの成長と幸せはまるで自分の事の様に嬉しいです。

出張先で久しぶりに再開した新入社員時代に面倒を見た後輩。成長した姿と生き生きとした顔を見せてくれてありがとう。頑張ってる笑顔はとても魅力的です。

今週は嬉しいことがたくさん。うん、まだ頑張れる。僕を元気にしてくれる人達のためにも。

そう、人生はシンプルで自分の気持ち一つで前を向いて進んでいける。

2014年5月16日金曜日

2つの会議

今週は色んな会議や報告会に出たり仕切ったり。

高校の先生たちが集まる会議に企業代表として参加したり、翌日は半期に一度の本部長への成果報告会。

学校の先生の会議ははっきり言ってグダグダでつまらない。まるで昭和の会議から時間が止まっているようなつまらなさ。来賓として行っているから文句を言ったり提案したりする訳にもいかないなと思って黙ってた。聞いていても揚げ足をとったり、訳の分からない説明を繰り返していたり…と全く持って建設的じゃない。
変化を嫌うというか、何というか。
企業の中でも変化を嫌う人は沢山いるけど、それでも中には新しいこと、やりがいを見つけたくてウズウズしてる人も沢山いる。
本当にこんな人たちばかりで教育現場は良いのかな?って感じてしまう。この会議高校生の職業訓練の会議なんだけれどまずは先生たちが一般企業の職業体験してみたらもっと良くなるんじゃないかな?そんな提案してみたい。

んで、翌日は本部長への報告会。全国から俺と同じ立場の人達が報告するんだけどメチャクチャ楽しい。年齢も出身会社も全く別なんだけど皆自分の事業所を良くしようと考えてやっててアツいものがヒリヒリと伝わってくる。俺も負けてられないなって、すごく刺激をもらえました。昨日の会議とは大違い。

よく俺は学校の先生向きの雰囲気って言われるけど、先生にならずに自分の力を年齢関係無しにチャレンジできる場所にいれて良かったなとつくづく感じることが出来た二日間の出来事。

2014年4月15日火曜日

地雷原の中を歩く

大好きな映像の世紀で印象に残っているシーンの一つがこれ。
ベトナム戦争に赴いたアメリカ兵士の回想の一つ。 
 
誰が敵で、誰が味方なのか、見分けられない。
みんな同じように見えた。
着る物も同じだった。
みんなベトナム人だ。
その中にベトコンがいた。

村人は地雷が埋めてあることを知っていても、注意もしてくれない。
地雷を埋めたのは彼ら自身だったかもしれない。
フットボールの試合と違って、敵と味方が区別出来ないのだ。
周囲は敵だらけだった。 
 
俺の今の状況も似たような感じ。どこを歩いたら良いのか、歩くたびに地雷を踏んでしまう。
やればやるほど深みにはまっていく。動かないと動かないで後ろから撃たれる。
 
この深みから這い上がるのはどうしたら良いのかな。それとも、もういいのかな。 

2014年2月13日木曜日

DigitalとAnalog

久々に電車に乗った。帰宅する人が多い夜6時

結構な乗車率で乗っている人の半分以上がスマホを操作している

その人差し指はまるでカーリングのストーンがリンクの上を滑るようにスーッと動いている

傍から見ていると妙に気味の悪い光景に見えて仕方ない。自分が操作してる時に周りからそう見えているのかと思い、おもむろにカバンから文庫本を取り出した。

じゃあ、新聞や本を読んでいる人が多くても気味が悪いのかと言われるときっとそうでは無いんだろう。 気持ちの問題かもしれないけれど、本はいろんな大きさがあって、雑誌や文庫本、新書にハードカバー。活字とはよく言ったもので、それぞれが何か活きているような感覚を受け取ることが出来る。

そんなことを考えながら電車を降りて家路に付いている時、最後にCDアルバムの歌詞カードを見ながら聞いたのはいつの日だったろうと思い出そうとしたけれど思い出せない。
ipodが登場して生活が一変した。車のトランクにあるCDチェンジャーは全く活用しなくなったし、CDはPCに取り込んだらよっぽどのことが無い限り、CDケースを開けることがなくなった。 聞き取りづらい歌い方や英単語はなんとなくでしか覚えなくなって、カラオケで歌った時に本当の歌詞を知ることもしばしば。でも、そんなデメリットよりも財布より小さい白と銀色の物体には何百枚もアルバムが入っていて聴きたいときに聴きたい音楽を僕に届けてくれた。今、カセットやMD時代に戻れと言われてもきっと戻れない。MDウォークマンから車のカセットデッキにつなぐ機器は今はもう過去の遺産なのだ。

学生の頃は、ソニーのCDコンポを持っているのがステータスでお年玉で買った。アイワやフナイのCDラジカセはダサいものだった。聞いている音楽は同じで違いなんか全くわからないくせにソニーが欲しかった。ソニータイマーがあるのは分かっていてもデザインが魅力的だったのだ。それが今や家にCDをかけて音楽を聞く機械が無い。

きっと今の20代前半より下の世代にはラジカセを肩に担いだ黒人なんてネタは通じないのだ。

2014年1月22日水曜日

今更だが、半沢直樹

半沢直樹で有名な池井戸潤の作品をここ数ヶ月で幾つか読んでみた。

ドラマの評判から、勧善懲悪物だと勝手に思っていたけれど、出てくる登場人物たちはそれぞれの立場でそれぞれの信じるモノのために戦っていた。家族のため、自分の出世のため、お金のため。それは主人公ですら例外では無く、半沢直樹も自分の出世のために戦っていた。

小説の中ではあるが、決して特別ではない登場人物達にはそれぞれの人生があり、それぞれが戦っている。この作者はそうした特別では無い人たちを描くのが物凄く上手くて読者が主人公の立場に共感する場面もあれば、物語で悪役に描かれている人に共感することも沢山あるのだ。そして、そこに惹き込まれてしまう。

組織に反旗を翻す事に憧れることもあったり、自分の愛する組織を守りたいという心境も交差し、物語が終わっても登場人物がこの先どんな人生を歩んでいくのか自分なりに想像してニヤニヤしてしまう。そんな感覚をどの作品を読んでも考える。

大好きな小説家、伊坂幸太郎が非日常の中の日常を描くのが上手であることと対照的に、池井戸潤は日常の中の日常を書くことで読者を釘付けにしてしまうのだろう。日常の中の非日常を書く作品やコントは多いんだけれど明らかに作り物だって感じてしまうと、人間はどこか冷め切ってしまう。例えば、コント「携帯電話販売」ツッコミが携帯電話ショップに来店すると明らかにおかしな店員がおかしな受け答えをする。これは日常の中の非日常。

ちょっと話は横にそれたけれど、自分たちが生きている世界は皆が正しくて皆が間違っている。自分が正しいと思っている考えが、他の人から見れば間違っている考えなのかもしれない。自分の見ている世界を俯瞰で見て他者はどんな考えをしているのか感じる事、わかる事が大事。

もちろん、俺には信じている自分の根っこがあってそれを曲げるわけには行かない部分もある。そその信条をまげないためにも相手が何を考えているのか何を求めているのか、そしてどうすれば自分の考えを分かってもらえるのか、貫けるのか。

矛盾しているような言い方だけど、いろんな人がいて斜め上にも下にもぶっ飛んだ考えの人が沢山いるから一つのやり方に固執すると足元をすくわれてしまうんだよね。

池井戸潤の作品から、そんなこと感じた。自分も組織の中の一員として、一人の人として素晴らしくも辛くて退屈な日常を、明るく楽しく生きていくためのヒントがそこにはある・・・のかな。